Vol.2053: 和歌山いってきた


あれから10年

今から10年前に居たところに今日は行った。
そこには昔の仲間はもういなかった。
いるはずもない。
いや、さがせばいたのかもしれない。
何人かは知っているが名前はもう覚えていない。
会話をするほどの事も無い。
見慣れた筈の景色も10年一昔。

辞めた私にはその風景は様変わりしていた。
続けているものはその風景は日常であろう。

何か作って来たのか。
何が朽ちて来たのか。

心の中では10年前でストップしている記憶も
10年前の仲間も10年経過している。

この先の10年はどうだろう。
あの時代ポケベル
私が携帯電話をもって約10年
その頃は自転車のりながら携帯電話するというスタイルは恥ずかしいものだった。
高級イメージがあり車などで使うと言う考えからだ。

今はどうだ、情報化時代もかなり進んで来ている。
だれでも携帯電話をもっている。
パソコンだってもっている。
ピッチは消えかけている。

車はキーレスエントリーどころか鍵をつけなくてもいい時代だ
エアバックもマーチでさへサイドエアバックが装備されている。

しかしなんだこの日本の風景は
田舎に行けば朽ちた廃屋、工場
中途半端な土地の安さに時代を築こうとしたものたちが
失敗し錆び付き朽ちている。
景観の悪い看板。
電柱に貼られた捨て散らし。
道路に捨てられているコンビニ袋。

時代はよくなったのか?
便利にはなった。
便利ということが消費という面だけのものである。

我が家には子供は居ない。
2050年 私は80近くになっている。
今の日本に子供をつくって30年後を迎えるのも恐ろしい。
中国が、アジア諸国ががんばっている。
日本が必要な時代はもうすぐ終わりを迎えるのではないのか?
円の貯蓄だけで本当にいいのか?
自分の借金とは思っていない政治家に国債を発行させてていいのか。
やつらはもう50年は生きられない。
自分だけで実際はいいのだろう。

と何となく 哀しくなった一日でした。

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